要約
- 日本の社会保険料が高止まりしている最大の理由は、政治や医療ではなく人口構造そのものである。
- 高齢者人口の増加はすでに確定しており、2035〜2040年頃までは社会保険の給付である社会保障費全体が重くなり続ける。
- 医療費は、人口構造によって生じた負担をさらに重くする最後の要因となり、そのしわ寄せが現役世代の社会保険料に集中している。
はじめに(この文章の立場)
最初に立場を明確にしておく。
この文章は、高齢者を責めるためのものでも、医療現場を批判するためのものでもない。また、政治家や官僚を攻撃することを目的としたものでもない。
人口問題や医療の専門家でもない素人の考えである。
人口構造と制度を並べて見たとき、現役世代が冷めていくのは合理的ではないか
という見方を、感情ではなく人数と制度の観点から整理することを目的としている。
人口構造はすでに「答え」を出している
日本の年齢別人口を見ると、特徴ははっきりしている。

https://www.stat.go.jp/data/jinsui/pdf/202511.pdf
- 40代後半〜50代に大きな山がある
- この山は、今後10〜15年で高齢者層へ移動する
- 40歳未満が階段状に少なくなっている
これは予測ではない。すでに確定している事実である。
つまり、
支える側が減り、支えられる側が増え続ける
という構造は、どのような政策を取ったとしても避けられない。
社会保険料が下がらないのは「失敗」ではなく「帰結」
社会保険料が高いと、すぐに「政治が悪い」「無駄が多い」「改革が足りない」といった声が上がる。
しかし、前提を一つ置き直す必要がある。
支えられる人数が増え、支える人数が減る社会で、負担が軽くなる方が不自然だ
年金・医療・介護のすべてが、この人口構造の影響を同時に受けている。
結論として、
社会保険料の高止まりは、少なくとも2040年前後まで続く
これは悲観論ではなく、算数の結果である。
社会保障の中で、医療費が特に厄介な理由
社会保障費は大きく分けて、年金・医療・介護の三つから成り立っている。
この中で、医療費だけが持つ特徴がある。
理論上、上限が存在しない
という点だ。
年金は給付額が決まっており、介護もサービス量に物理的な制約がある。
一方、医療は、技術が進むほど「できること」が増え、使おうと思えば使えてしまうという性質を持つ。
人口が高齢側に傾くと、この特性が一気に効いてくる。
高齢化が進むと、医療費は最後に跳ねる
高齢化が進むと、社会保障費は年金、介護、医療の順に重くなっていく。
年金は高齢期の比較的早い段階から機械的に発生し、介護はその後に増え始めるが、いずれも制度上の上限や量的な制約が存在する。一方で医療費は、高齢期の後半に入ってから急激に増えやすいという特徴を持つ。
高齢者人口が増えると、通院、入院、薬、手術といった医療行為全体が増加する。
その中でも、年金や介護に続いて最も遅れて、かつ集中的に重くなるのが終末期医療である。
- 自己負担は軽い
- 家族も医療側も止めにくい
- 制度としての上限が見えにくい
その結果、
誰の悪意もなく、医療費が積み上がっていく
これが、人口問題が医療費問題として表面化する瞬間である。
終末期医療を見直すと誤解されやすい理由
この話題を出すと、必ず次のような反応が返ってくる。
「それは苦しむ人を切り捨てる話ではないか」
しかし、この連想自体が、制度の整理不足から生まれている。
苦痛を和らげる医療と、延命を目的とする医療は別だ
人口制約のある社会では、すべてを同じように扱うことはできない。
ここで必要なのは、人を選別することではなく、医療の性質を区別することである。
- 痛みや不安を和らげる
- 最期を穏やかに迎えるための支援
こうした医療やケアは、社会として守るべき領域だと考える。
一方で、延命効果を含み、費用が大きくなりやすく、継続の判断が曖昧になりやすい医療については、
人口構造を前提に、どこかで線を引く必要がある
これは倫理の話ではなく、制度の持続性の話である。
問題は「止められない設計」にある
現状では、本人も、家族も、医療現場も、制度も、誰も「止める役割」を担っていない。
その結果、
人口が増えるほど、医療費が自動的に膨らむ
という構造ができている。
ここに感情論を持ち込んでも、問題は解決しない。
なぜ現役世代の負担が集中するのか
人口構造をそのまま当てはめると、
- 高齢者:人数が多く、自己負担は軽い
- 現役世代:人数が少なく、負担が集中する
という構図になる。
これは不公平感の問題ではない。
人数と制度を掛け算した結果である。
だからこそ、現役世代が制度に冷めていくのは自然な反応だと言える。
なぜこの問題は30年以上先送りされたのか
高齢化は突然起きたわけではない。
- 1990年代にはすでに予測されていた
- 団塊ジュニアの存在も明らかだった
それにもかかわらず、抜本的な制度設計は避けられ、痛みを伴う調整は先送りされ、
人口構造が現実の問題として顕在化するまで、十分な対応は取られてこなかった。
その結果、調整コストは、まず現在の40〜50代を中心に先行して現れ、
時間差を伴って、人数の少ない若年世代へと移行していく構造になっている。
まとめ
ここまで見てきた問題は、特定の世代や個人の行動を責めるものではない。
高齢者が医療を利用するのは自然なことであり、
制度がそう設計されている以上、個々人がその枠内で行動すること自体に問題があるわけではない。
しかし、人口構造が大きく変化し、高齢者の比率が高まった現在においても、
制度の前提が十分に更新されないまま運用され続けていると、その負担は構造的に現役世代へ集中する。
医療費は、人口構造の変化に伴って生じた社会保障負担が、とりわけ後半で重く現れやすい部分にすぎない。
社会保険料が高止まりし、現役世代の負担感が強まるのは、偶然でも感情論でもない。
本質的な問題は、誰かの善意や節度に委ねる形のまま、人口構造の変化に制度設計が追いついていない点にある。
少子高齢化は突然起きた出来事ではなく、30年以上前から予測されていた。
それにもかかわらず、人口構造を前提から置き直すような制度設計の見直しは、今日に至るまで本格的には行われていない。現実に行われてきたのは、負担の先送りや部分的な調整が中心であり、その結果として、調整の余地が小さくなった段階で問題が表面化している。
この点に対して「なぜここまで放置されたのか」という疑問を抱くのは、一国民として自然な感覚だろう。
よくある反論への短い補足
Q1. 医療現場を軽視しているのでは?
A. そのような意図はない。医療現場を責める話ではなく、止める役割を誰も担っていない制度設計の問題を指摘している。
Q2. 高齢者を切り捨てる議論では?
A. 違う。人口構造が変わった以上、全世代が同じ前提で制度を使い続けることが難しくなっているという事実を述べている。
Q3. がん患者や重病者への配慮が欠けていないか?
A. 苦痛を和らげる医療を否定しているわけではない。問題にしているのは、誰かが積極的に延命を望んでいるわけではなく、本人・家族・医療現場・制度のいずれにも強く止める動機がないために、延命効果を含む高額医療が結果として続いてしまう仕組みである。
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この記事を書いた人 Wrote this article
ぜんたろう
FP2級/宅建士。お金の話が好物。インデックス投資がメインなのに個別株・ETFにも手を出す。ここ数年で投資スタイルが確立した筈だがジャンク株に心を奪われがち。 --- 永遠の見習いプログラマ (SIer複数→スタートアップ複数→大きめベンチャー)