社会保障制度の先行きが見通しにくくなるなかで、「どれくらい貯めれば老後は安心か」という問いを耳にすることが増えた。
雑誌でもSNSでも、「2,000万円」やそれを超える金額が並び、不安を煽るような情報が溢れている。
だが、私はいつも感じていた。
金額の多寡よりも、「そもそも何を制度に期待するつもりなのか」のほうが、よほど本質的な問いではないかと。
「どれくらい貯めればいいのか?」
そう問われたとき、私は最近こう答えている。
「いくら持つかではなく、どこまでを制度に期待するかで変わる」と。
「はじめに:金額よりも「判断軸」が必要な理由
お金や老後の備えを語るとき、よく出てくるのは「2,000万円必要問題」や「この資産で安心」といった金額ベースの話だ。
だが金額だけを提示すると、自慢になったり、逆に「そんなに貯められるわけがない」と反発を生んだりする。
それ以前に、金額だけでは 構造の違いや個人差に対応できない。
だからこそ、制度に何を期待し、何を自分で引き受け、どこから先は委ねるか という“判断軸”の整理が必要だと考えている。
制度があることと、それに期待できることは別だ。
私たちがこれから生きていく時代は、「制度を前提にして考える」こと自体がリスクになる。
とはいえ、「すべて自分で抱え込め」という話ではない。
私は、次のような3つの問いをもとに、“備える”ということを整理し直したいと思っている。
- 何を制度に期待しないのか
- 何を自分で引き受けるのか
- どこから先は委ねるのか(≠諦め)
何を制度に期待しないのか
多くの人が制度に期待してきたものは、「自分が動けなくなったときに支えてくれる何か」だった。
それは年金であり、医療保険であり、介護保険である。だが、制度は万能ではない。特に次のような領域では、すでに制度は“想定よりも機能しない”可能性を内包している。
- 高齢期の生活費のすべてを年金に頼ること
- 高額医療でも自己負担が軽いはず、という安心感
- 誰でもスムーズに介護制度を使えると思っていること
これらは「ある程度までしか機能しない」ものと捉えておく必要がある。
制度はあくまで“補助線”であり、自分の人生のメイン構造ではない。
この視点を持たずにすべてを制度に預けようとすると、期待外れと向き合うことになる。
何を自分で引き受けるのか
制度に期待しすぎない前提に立てば、次に必要なのは「では、どこまで自分で引き受けるのか」という設計である。
私の場合、それを次の3つの軸で考えている。
● キャッシュフローの確保
備えるとは、単に貯めることではない。
継続的にお金が流れてくる経路を複数持っておくことが、自分を支える基盤になる。
配当収入、副業、必要に応じた資産の部分取り崩しなど、収入源を一点に依存しない仕組みが必要だ。
「備え」という言葉は静的だが、本質的には流動性のある仕組みの方が強い。
これは、年金制度の支給開始を待つ構造とは対照的である。
● 健康の維持と継続的な判断能力
いかにお金を持っていても、制度にアクセスできても、動けなくなれば終わりである。
だから私にとっての備えとは、生活習慣・医療・情報更新のルーティンを維持し、行動可能性と判断力を損なわない状態を続けることだ。
「健康」とは肉体の状態だけではない。情報を判断する力や、精神の安定も含めた “自分の生活を自分で維持できる状態” のことだ。
● 制度にアクセスできる力の維持
「制度にアクセスできる力」とは、現行制度に“依存しない”前提のもと、必要な制度を「的確に」「自力で」使えるための情報リテラシーや判断力のことだ。
- 必要な情報を探せるか
- 自分に関係ある制度かどうかを見抜けるか
- 面倒な手続きを放置しないか
私はこれらを総合して、「制度にアクセスできる力」と呼んでいる。
これは預金残高では計れないが、実際にはもっとも重要な資産かもしれない。
どこから先は委ねるのか(≠諦め)
全てを自分で引き受けることはできない。
だから私は、「どこから先は制度や他者に委ねるのか」を、明確に自分の中で定義しておくことが大事だと思っている。
委ねるとは、無関心や諦めとは違う。
自分ではどうにもならない領域を、「ここから先は制度に任せる」と明示することで、
その手前までは自分で責任を持つという線引きが可能になる。
制度が崩れることを前提にして、すべてを自分で設計するのは苦しい。
だが、何を自分で持ち、どこを任せるかを線引きしておけば、
不安を“設計の範囲”に落とし込むことができる。
よくある誤解をあえて潰しておく
老後不安を語るとき、次のような言葉をよく聞く。
- 「制度があるからなんとかなる」
- 「自分はまだ若いから準備は不要」
- 「預金さえあればとりあえず安心」
だが、それらは全て 一面的な希望的観測 でしかない。
制度は「設計されている」だけで、
“使いこなせること”が保証されているわけではない。
若さは時間をくれるが、意思決定を猶予する理由にはならない。
そして預金だけでは、インフレ・為替・長寿化には太刀打ちできない。
なぜ金額ではなく判断軸なのか
生活費、家族構成、住んでいる地域、健康状態、就労継続性──
これらすべてによって、「いくら必要か」は人によって全く異なる。
だからこそ、最初に問うべきは
「いくら持つか」ではなく「どこまで備えるつもりなのか」 だ。
判断軸があれば、資産が増えても減ってもぶれにくい。
将来が不確実だからこそ、考え方の軸を先に定めておくことが“安心”に直結する。
次回:どう備えているのか──私の設計例
とはいえ「じゃあ結局どう備えればいいの?」という声が聞こえてきそうだ。
私自身もそうだった。
制度に期待しすぎず、でも全部に備えるわけにもいかない──
だからこそ、自分なりに考えて辿り着いたのが 「五層構造モデル」 だった。
- どんなお金をどこに置いているのか
- どのタイミングで、どの資産を取り崩すつもりなのか
次回はそのあたりを含め、私の設計例としてまとめようと思う。
「なるほど、こういう考え方もあるのか」と思ってもらえたら嬉しい。
おわりに
「制度が悪い」でも「備えなければ地獄」でもない。
どちらも極端だ。
必要なのは、構造を知り、自分の判断軸を持つこと。
それがあるだけで、制度の変化にも市場の波にも、飲まれずに生きていける。
過信せず、過小評価せず。使えたら儲けもの。
そんな態度が、今の時代にはちょうどよいと思う。
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この記事を書いた人 Wrote this article
ぜんたろう
FP2級/宅建士。お金の話が好物。インデックス投資がメインなのに個別株・ETFにも手を出す。ここ数年で投資スタイルが確立した筈だがジャンク株に心を奪われがち。 --- 永遠の見習いプログラマ (SIer複数→スタートアップ複数→大きめベンチャー)