なぜ誠実に働く者が報われにくくなったのか

最近、違和感を覚えることがある。

それは、
自ら働いて対価を得るよりも、制度の隙間を突き、 他人のリソースを掠め取る方が合理的に見えてしまう場面が増えている
ということだ。

これは、個人の倫理観が急に劣化したからではない。
むしろ、そう振る舞った方が得になるような社会設計が、 長年にわたって積み上げられてきた結果だと感じている。

「誠実さ」がコストになる構造

いまの社会では、
ルールを守り、誠実に振る舞うこと自体が、
追加のコストになりやすい。

  • 他人の不正や逸脱に巻き込まれ、何もしていない側が説明責任を負わされる
  • ルールを守るために、守らない人間よりも多くの手間や制約を受ける

こうした構造は、
誠実さやプロフェッショナリズムを 「搾取可能な資源」に変えてしまう

結果として、

  • ちゃんとやる人ほど疲弊し
  • 境界線を踏み越えた人間ほど得をする

という逆転現象が起きる。

責任を負わない失敗が積み上がる社会

この問題は、民間だけの話ではない。

制度の側にも、
失敗しても個人が痛まない設計が数多く残っている。

  • 判断を誤っても、責任は曖昧なまま
  • 損失は時間をかけて、現役世代や将来世代に分散される

こうした仕組みは、
「失敗しても問題ない」「うまくいけば自分の手柄」という
無責任なインセンティブを温存する。

結果として、
公的資金や巨大な運用資金が、
本来の目的とは異なる形で使われる余地が生まれる。

「働き損」が合理的になってしまう瞬間

個人レベルでも、同じ歪みがある。

  • 一定の年収を超えると、手取りが減る
  • 働くよりも、給付に留まった方が安定する

こうした局面では、
働かない方が合理的という判断が生まれてしまう。

それは怠惰ではない。
制度がそう判断させているだけだ。

近年になって、
「働けば働くほど報われる仕組み」に戻そうとする議論も出てきたが、
長年積み上げられた歪みは、簡単には修正できない。

給付ではなく「自立」を優遇する設計へ

私が望んでいるのは、
給付や救済を全否定することではない。

ただし、

  • 誠実に働く
  • 価値を生み出す
  • 責任を引き受ける

こうした行動が、
制度上も最も報われる設計であってほしいと思っている。

一時的な給付や補填ではなく、
長期的に見て、

  • 労働による所得
  • 継続的な貢献

が、最も安定し、最も優遇される社会。

「逃げ得」を前提にしない運用

もう一つ重要なのは、
制度を「ハックできる余地」を減らすことだ。

  • 不正があれば、きちんと検知される
  • 巨大な資金が、目的外に使われない

そうした当たり前の監視と運用がなければ、
どんな理想的な制度も形骸化する。

誠実に働くという選択を、もう一度合理的にする

「楽をして儲ける」人が増えたのではない。
真面目にやる意味を、社会が壊してきただけの話だ。

だから必要なのは、
精神論でも、根性論でもない。

  • 誠実に働く者が損をしない
  • 能力と責任を引き受けた者が、正当に報われる

そんな当たり前の設計を取り戻すこと。
それが実現しない限り、誠実に働くという判断は合理的な選択には戻らない。

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ときに制度は、時間軸や責任の所在を曖昧にし、 誠実さを前提とした判断を壊してしまう。
それは財源の話でも、労働の話でも同じ構造だと考えている。

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ぜんたろう

ぜんたろう

FP2級/宅建士。お金の話が好物。インデックス投資がメインなのに個別株・ETFにも手を出す。ここ数年で投資スタイルが確立した筈だがジャンク株に心を奪われがち。 --- 永遠の見習いプログラマ (SIer複数→スタートアップ複数→大きめベンチャー)

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