FIRE思想の限界について前回整理したとき、ひとつ重要な点が残った。
それは、FIREの議論は「出口」、つまり取り崩しの話に偏りがちだが、実は資産形成の途中にも歪みがある、という点である。
多くの資産形成論は非常にシンプルだ。インデックス投資を買い続け、長期で保有し、入金力を高め、余計な売買をしない。これは基本としては正しい。実際、S&P Dow Jones IndicesのSPIVA Japan Year-End 2025では、日本で販売されるアクティブ株式ファンドの多くがベンチマークに劣後しており、2025年には6つのファンド・カテゴリーのうち5つで80%以上がアンダーパフォームした。日本大型株ファンドは例外的に2025年単年では49.17%のアンダーパフォームにとどまり、2017年以降で最も低い水準となったが、10年では83.38%、15年では80.38%がベンチマークに負けている。日本籍の米国株式ファンドでも、2025年単年で89.08%、10年で97.65%、15年で95.24%がベンチマークに負けている[1]。低コストのインデックス投資が「入口」として合理的なのは、まずこの現実があるからである。
しかし、問題はそこではない。問題は、インデックス投資が合理的であることと、それだけで人生設計まで安定することは別である、という点である。
インデックス投資は合理的だが、解く問題が限られている
インデックス投資の強みは、市場全体に乗れることだ。個別株のように、企業選定を誤る、一社の不祥事に巻き込まれる、運用者選びで失敗する、といった固有リスクを大きく減らせる。だから、商品選択としては非常に優れている。SPIVAの結果が示すのも、要するに「市場平均に勝とうとしても、多くは勝てない」という事実である。
ただし、インデックス投資が解いているのは主に「何を買うか」という問題だけである。景気後退、金利上昇、インフレ、為替変動のような市場全体のリスクは残るし、失業、病気、介護、離婚、税制変更のような人生側のリスクは最初から射程外である。インデックス投資はリスクを消す方法ではない。個別企業のリスクを減らし、市場全体のリスクを引き受ける方法である。
長期投資は平均ではなく、順序に支配される
資産形成ではよく「長期なら大丈夫」と言われる。しかし、この言い方はかなり危うい。4%ルールの出発点になったBengenの1994年論文は、まさに「平均利回り」と「平均インフレ率」で考えることの危うさを指摘するために書かれたものだった。Bengenは、米国の過去データを使い、50%株式・50%中期国債を前提に、30年以上資産が持つ初期取り崩し率を検証し、4%の初期取り崩しなら過去のケースで少なくとも33年は資産が尽きなかった一方、4.25%では28年で尽きるケースがあり得ると示した[2]。つまり4%ルールは「平均的にこれくらい」という話ではなく、「悪い順番の年回りでもどこまで持つか」を見た米国史ベースの経験則である。
この点はTrinity Study系の研究でも基本的に同じである。Cooleyらは1926年から1997年の米国大型株・社債データを用い、15年から30年の取り崩し期間ごとに成功率を比較した。その結論は、長期のインフレ調整後取り崩しでは株式比率50%以上が必要で、少なくとも75%株式のポートフォリオなら4%から5%のインフレ調整後取り崩しが視野に入る、というものであった[3]。裏を返せば、4%ルールは「いつでもどこでも安全」という自然法則ではなく、米国の歴史データ、30年前後の期間、一定の資産配分という前提付きのルールに過ぎない。
だから本当の問題は、暴落が起きることそれ自体ではない。暴落が、自分の取り崩しフェーズと重なることだ。積立期の下落は、入金を続けられる人にとっては安く買える局面である。だが、退職直後に大きな下落と高インフレが重なれば、資産を安く売り、なおかつ生活費は実質的に増える。市場にとっての長期と、人間にとっての長期は同じではない。市場は待てるが、人間は収入、健康、年齢という制約の中でしか待てない。
取り崩し率を下げれば安全になるが、別のコストが増える
もちろん、取り崩し率を下げれば資産寿命は延びやすい。年間生活費が300万円なら、単純計算で4%取り崩しには7,500万円、3%には1億円、2.5%には1億2,000万円が必要になる。だが、これは安全率の改善であると同時に、必要資産額の増加でもある。安全率を上げるほど、FIRE時期は遠のき、現役期の消費は圧縮され、労働期間は延びる。
しかも、過度に「資産が尽きるリスク」だけを恐れると、今度は別の歪みが生じる。Journal of Financial Planningの2016年論文では、HRSデータを用いた分析の結果、金融資産上位20%の退職者は、資産が尽きる危険に近づくほどの金額を支出していなかったことが示された。上位20%の平均初期金融資産は約66.5万ドルで、初期資産の40%を予備資産として取り分けても、年間の消費を2.58万~3.89万ドル増やせる余地があった。論文は、最も資産の大きい層で、40%を留保した後でも消費ギャップが最大47%残ると報告している[4]。安全性を高めることは重要だが、資産不足リスクだけを見続けると、「使えないまま人生が終わる」という別の失敗を生む。
入金力は証券口座の外で決まる
資産形成はよく、入金額、利回り、時間の3つで説明される。これは間違っていない。しかし、そのうち最も支配力が大きい入金額は、投資の上手下手よりも、労働市場でどこに立っているかに大きく左右される。
厚生労働省の2025年賃金構造基本統計調査では、一般労働者の月額賃金は、正社員・正職員で35.88万円、正社員・正職員以外で24.17万円だった。企業規模別にみると、正社員・正職員の月額賃金は大企業で41.41万円、中企業で34.44万円、小企業で31.50万円である。非正規も大企業25.15万円、小企業22.90万円で差がある[5]。つまり、同じ「投資を頑張る」という言葉の下でも、そもそもの入金余力は、雇用形態と企業規模だけでかなり違う。資産形成のかなりの部分は、証券口座の中ではなく、労働市場の中で先に決まっている。
ここを見落とすと、「節約してインデックス投資を続ければよい」という、いかにも公平そうで実はかなり不公平な話になる。だが現実には、誰もが同じペースで月10万、15万、20万と入金できるわけではない。入金力を上げよという助言は、しばしば投資助言ではなく、高賃金・安定雇用・健康維持を前提にした生活助言になっている。
時間は平等ではなく、現金の安全にも代償がある
資産形成では「時間を味方につける」という表現が多い。原理としては正しい。しかし、時間はカレンダーの上で平等でも、生活の中では平等ではない。日本の2022年の健康寿命は、男性72.57歳、女性75.45歳で、平均寿命との差は男性約8.5年、女性約11.6年ある[6]。積立期間を5年延ばす、FIREを10年遅らせる、という判断は、単なる数字の後ろ倒しではない。健康な時間の一部を現役期に回す、という意味を持つ。だから「安全のためにあと数年働けばよい」という言葉には、常に機会費用がある。
一方で、下落耐性のために現金を厚く持つ戦略にも代償がある。日本銀行の2025年3月末時点の日米欧比較では、日本の家計金融資産は2,195兆円、そのうち51.0%が現金・預金だった。米国家計の現金・預金比率11.5%に比べると、日本の家計はなお現金偏重である[7]。同時に、総務省統計局によれば、2025年の全国CPI総合は前年比3.2%上昇した[8]。現金は暴落には強いが、インフレには弱い。安全資産を増やすことは、別のリスクを引き受けることでもある。
資産形成の本質は、利回りの最大化ではなくリスクの交換である
ここまでを整理すると、資産形成の本質はかなり明確である。資産形成とは、正解の商品を選ぶことでも、最も高い利回りを探すことでもない。どの不確実性を引き受け、どの不確実性を減らすかを決めることだ。
株式比率を上げれば、長期期待リターンは高まりやすいが、取り崩し初期の下落には弱くなる。現金比率を上げれば、暴落時の耐久力は高まるが、インフレで購買力が削られる。正社員として長く働けば入金力は上がりやすいが、時間と健康を消費する。早く辞めれば自由時間は増えるが、資産寿命の不確実性は高まる。インデックス投資は、このうち「商品選択の失敗」を減らすには有効だが、労働・健康・家族・制度のリスクまでは引き受けてくれない。
だから本当に設計すべきなのは、単なるポートフォリオではない。どこまで働くか、どれくらい支出するか、現金をどれだけ持つか、何%の下落まで耐えられるか、収入をゼロにするのか少し残すのか、といった生活全体の設計である。資産形成は、リスクを消す作業ではない。リスクを交換する作業である。
結論
インデックス投資は強力な手段である。商品選択のミスを減らし、運用コストを抑え、長期投資の基礎としては非常に合理的だ。だが、それは万能ではない。
インデックス投資が解決するのは、主に「何を買うか」という問題である。しかし資産形成に残る本丸は、それ以外にある。入金力をどこで作るか、健康な時間をどこまで差し出すか、どの局面の下落に耐えるか、どの程度のインフレを受け入れるか、そして何歳まで働くか。これらは市場平均では決まらない。
市場平均に乗ることは合理的である。しかし、人生は市場平均では動かない。だからこそ、資産形成に必要なのは信仰ではなく、設計なのである。
参考文献
[1] S&P Dow Jones Indices, SPIVA®日本スコアカード 2025年末
https://www.spglobal.com/spdji/jp/documents/spiva/spiva-japan-year-end-2025-jp.pdf
[2] William P. Bengen, Determining Withdrawal Rates Using Historical Data, Journal of Financial Planning, 1994(FPA掲載PDF)
https://www.financialplanningassociation.org/sites/default/files/2021-04/MAR04%20Determining%20Withdrawal%20Rates%20Using%20Historical%20Data.pdf
[3] Philip L. Cooley, Carl M. Hubbard, Daniel T. Walz, Sustainable Withdrawal Rates From Your Retirement Portfolio, Financial Counseling and Planning, 1999
https://www.afcpe.org/wp-content/uploads/2018/10/vol1014.pdf
[4] Chris Browning, Tao Guo, Yuanshan Cheng, Michael S. Finke, Spending in Retirement: Determining the Consumption Gap, Journal of Financial Planning, 2016
https://www.financialplanningassociation.org/sites/default/files/2021-01/FEB16%20Spending%20in%20Retirement.pdf
[5] 厚生労働省, 『令和7(2025)年賃金構造基本統計調査の概況』
https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/z2025/dl/14.pdf
[6] 佐藤敏彦, e-ヘルスネット『平均寿命と健康寿命』
https://kennet.mhlw.go.jp/information/information/hale/h-01-002.html
[7] 日本銀行, Flow of Funds – Overview of Japan, the United States, and the Euro area
https://www.boj.or.jp/en/statistics/sj/sjhiq.pdf
[8] 総務省統計局, Consumer Price Index Japan Yearly Average
https://www.stat.go.jp/english/data/cpi/158c.html
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この記事を書いた人 Wrote this article
ぜんたろう
FP2級/宅建士。お金の話が好物。インデックス投資がメインなのに個別株・ETFにも手を出す。ここ数年で投資スタイルが確立した筈だがジャンク株に心を奪われがち。 --- 永遠の見習いプログラマ (SIer複数→スタートアップ複数→大きめベンチャー)