FIREより大切なもの──人生の土台は退職前に作る

FIRE(Financial Independence, Retire Early)という考え方が広まっている。

十分な資産を築き、労働から解放される。満員電車や職場のストレスから離れ、自分の時間を自由に使う。

これは多くの人にとって魅力的な未来に見える。

しかし、FIRE後の人生を考えるとき、多くの人が見落としがちなことがある。

それは、自由な時間を得る前に、その時間をどう使うかを準備しておく必要があるということだ。

退職はたしかに大きな転機だが、それ自体が人生の問題を自動的に解決するわけではない。退職が健康に与える平均効果は小さく、しかも自発的な退職か、健康や組織都合による非自発的な退職かで結果は分かれる[1][2]。仕事を辞めればそれで人生が整う、というほど単純ではない。

人生の空白は、退職後に突然生まれるわけではない

FIRE後に「やることがない」「毎日がつまらない」と感じる人がいる。

しかし、その原因は退職した瞬間に生まれたものではない。

多くの場合、問題はFIRE前から存在している。

仕事以外の人間関係がない。

趣味や熱中できるものがない。

健康維持の習慣がない。

生活を自分で設計する練習ができていない。

こうした状態で仕事だけを取り除けば、残るのは自由ではなく空白である。

退職適応に関するメタ分析でも、退職後の適応と最も強く結びつくのは社会参加(r = .23)であり、次いで健康状態(r = .22)、パートナー関係(r = .18)、経済状況(r = .17)、退職時の条件(r = .15)であった。さらに、下位要因では、身体症状が少ないことと、退職後も社会関係を維持しやすいことが、退職適応における特に重要な要因とされた[3]。退職後の満足は、退職後に突然生まれるものというより、退職前からの生活基盤の延長として現れやすい。

FIREとは、人生をリセットする制度ではない。

すでにある人生を拡張するための手段である。

資産は自由を作るが、人生の目的は作らない

資産形成には大きな価値がある。

十分な資産があれば、嫌な仕事を断ることができる。

無理な働き方を避けることができる。

収入より健康や生活を優先する選択も可能になる。

しかし、資産が提供できるのは「選択肢」であって、「目的」ではない。

お金によって時間を買うことはできる。

しかし、その時間を何に使うかまで決めてくれるわけではない。

これはFIREを否定しているのではない。

むしろ、FIREを成功させるためには、資産形成と同時に人生の土台作りが必要だということだ。

退職前に作るべき4つの土台

1. 健康

自由な時間を得ても、健康を失えばできることは限られる。

退職適応の予測因子として、健康状態は社会参加に次ぐ強さで関連していた(r = .22)[3]。

だからこそ、運動習慣、睡眠、定期的な受診、体力管理といった基礎は、退職してから慌てて整えるものではない。現役時代から少しずつ積み上げておく必要がある。

2. 人間関係

会社員時代は、意識しなくても人との接点がある。

しかし退職すると、職場という強制的な人間関係は失われる。

家族以外との交流、地域とのつながり、趣味を通じた関係などを事前に持っておくことが重要になる。

実際、香港の退職者118人を対象にした3回にわたる追跡調査では、退職前の準備行動が多い人ほど、退職初期に多くの資源を持っていた。なかでも社会的なつながりや支援の充実は、その後の心理的幸福感と生活満足度の向上に結びついていた[4]。

3. 趣味や活動

「時間ができれば趣味を始める」と考える人は多い。

しかし、時間だけでは新しい活動は生まれない。

スウェーデンの退職者1110人を対象とした縦断データの分析では、退職後の余暇活動の水準は、退職前の活動水準をおおむね引き継ぐ傾向が示されている[5]。

つまり、退職後にいきなり別人のような生活が始まるわけではない。興味や習慣は、忙しい現役時代から少しずつ育てておく必要がある。

4. 自分で生活を設計する力

会社員生活では、仕事が一日の予定を決めてくれる。

しかし退職後は、自分で時間を管理し、目標を設定し、行動する必要がある。

自由とは、誰かに決めてもらうことから解放される一方で、自分で決める責任を持つことでもある。

スペインの244人を退職前から退職後まで3回調べた研究では、金融、健康、生活設計、心理面での準備が多い人ほど、退職後9〜12か月時点のQOLと健康状態が良かった。とくに、準備をしていた人ほど、退職後に人とのつながりや支援を失いにくく、それがQOLや健康状態の良さにも関係していた[6]。退職後の生活をうまく回す力は、退職してから突然身につくものではない。

FIREは「逃げ」ではなく、人生の選択肢を増やすもの

FIREを目指す理由は、人によって異なる。

早く仕事を辞めたい人もいる。

好きなことに時間を使いたい人もいる。

家族との時間を増やしたい人もいる。

しかし、重要なのは「いつ辞めるか」だけではない。

どのような人生を送りたいのかを考え、そのための準備をしておくことだ。

資産形成は、退職後の生活費を確保するためだけのものではない。

人生の選択肢を増やすためのものでもある。

だからこそ、FIREを考えるなら、資産額だけを見るべきではない。

退職後に何をするのか。

誰と過ごすのか。

どのような生活を送りたいのか。

その答えは、FIREした後ではなく、FIREする前から作っておく必要がある。

まとめ

FIREの本質は、仕事を辞めることではない。

自分の人生を自分で選択できる状態を作ることだ。

そのためには、資産だけではなく、健康、人間関係、趣味、生活習慣といった人生の土台が必要になる。

自由な人生は、退職した瞬間に始まるものではない。

その準備は、働いている今から始まっている。

参考文献

[1] Mattia Filomena and Matteo Picchio, “Retirement and health outcomes in a meta-analytical framework”, Journal of Economic Surveys, 2023.
https://doi.org/10.1111/joes.12527

[2] Douglas A. Hershey and Kène Henkens, “Impact of Different Types of Retirement Transitions on Perceived Satisfaction with Life”, The Gerontologist, 2014.
https://doi.org/10.1093/geront/gnt006

[3] C. J. La Rue, Catherine Haslam, and Niklas K. Steffens, “A meta-analysis of retirement adjustment predictors”, Journal of Vocational Behavior, 2022.
https://doi.org/10.1016/j.jvb.2022.103723

[4] Dannii Y. Yeung and Xiaoyu Zhou, “Planning for Retirement: Longitudinal Effect on Retirement Resources and Post-retirement Well-being”, Frontiers in Psychology, 2017.
https://doi.org/10.3389/fpsyg.2017.01300

[5] Linda Kridahl, “Retirement and leisure: a longitudinal study using Swedish data”, Vienna Yearbook of Population Research, 2014.
https://doi.org/10.1553/populationyearbook2014s141

[6] María Dolores Hurtado and Gabriela Topa, “Quality of Life and Health: Influence of Preparation for Retirement Behaviors through the Serial Mediation of Losses and Gains”, International Journal of Environmental Research and Public Health, 2019.
https://doi.org/10.3390/ijerph16091539

この記事を書いた人 Wrote this article

ぜんたろう

ぜんたろう

FP2級/宅建士。お金の話が好物。インデックス投資がメインなのに個別株・ETFにも手を出す。ここ数年で投資スタイルが確立した筈だがジャンク株に心を奪われがち。 --- 永遠の見習いプログラマ (SIer複数→スタートアップ複数→大きめベンチャー)

TOP